とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

先入観にとらわれない聖書解釈のもと、

聖書に興味がある方に見てもらうためのブログ

無限の可能性を秘めた賜物

無限の可能性を秘めた賜物



「 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、
御前で聖よく、傷のない者にしようとされました。
 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、
愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」
(エペソ人への手紙1:4~5)



 私たちクリスチャンは、死んでこの世を去って終わりではない、キリストにある永遠のいのちを信じています。それは、この世のあらゆる苦しみや患難から解放された天の御国を信じることです。
それは、勝手に私たちが都合よく造り出した想像ではなく、神様が創造された聖書に書かれていることだから信じる価値があるのです。
 私たちは、生きている間にもその天の御国を再現することを志します。それは、天の御国を信じる神の与えた賜物である信仰がある人の特権です。


 私たちが生きる世界では、あらゆる存在そのものを否定し破壊する概念が多々あります。しかし、私たち一人一人の心がけによってそれは、善き世界へと変えられるということでもあります。
 たとえば、一つの善い会社があったとします。その会社は解雇する人もなく、栄え、一人一人の才能を発揮できる善い職場であるでしょう。そこには、愛車を大切に扱いメンテナンスを怠らないように、一人一人の人材の能力を最大限に発揮できる環境と共に、一人一人の社員に負荷がかかり過ぎない、心身共にメンテナンスがしっかりされた会社です。そのような会社では、いつまでも長く存続できるのと同時に、人の能力が常に機械やコンピューターを上回っているため、機械やコンピューターに依存するのではなく、機械やコンピューターを使いこなし、能力を最大限に引き出す知恵があるのです。人の使い方が、そのまま道具の使い方に反映されるものです。また、言葉使いにしてもそうです。 
 ある小学校で、二つのリンゴで実験をしたところ、一つのリンゴには弱点を責める罵声を浴びせたり否定的な言葉や投げたり粗末に扱い、もう一つのリンゴには良いところを誉めて存在そのものを肯定する言葉をかけたそうです。そして、そのあと二つのリンゴを切って、中身を比べてみると、同じリンゴでも、罵声や否定的な言葉を浴びせられたリンゴの方は、汚く浸食し腐れ賭けたような色をしていて、もう一つの誉めて存在を肯定した言葉をかけたリンゴの方は、みずみずしく美しいままに、新鮮な状態であったというのです。 これは、人の言葉の持つ力を証明している実験です。
 SNSに掲載されていた実際にあった話なのです。 日本には言霊という言葉があるほどに、言葉の持つ力や、心から来る行いによっては、長生きする人やモノがあれば、直ぐに命を絶たれる人やモノもあるということがこの実験から読み取れるのです。


 私たちの世界は否定的な言葉で溢れています。しかし、聖書の神は、私たちは、高価で尊い、生まれる前から、世界が造られる前から選ばれた器であり、神に愛された存在だと言います。
聖書は、個人個人の人そのものを肯定している書物なのです。
 その聖書の神に目を向けて、心洗われるなら、周りの否定的な言葉に左右され、自分自身も否定的な言葉を使う必要はないのです。人は、信じているものが言葉となって出てきます。
 多くの人々の病を癒したイエス・キリストの言葉を使うなら、「裁いてはなりません。裁かれないためです。」とあるように、人を計らないこと、肯定的な言葉を使う人は決して人を傷つけることはなく、
そのような存在を大切にできる社会には、健康と長寿が約束されていると言えるでしょう。
 私たちが信じられなくても、神は私たちを愛しています。だから、イエス・キリストがその罪の身代わりとなったのです。私たちは、お互いの存在を愛車をメンテナンスするように、「心身共に健康で新鮮な長寿が約束された地球」という善き会社を一人一人の心がけで造ることができるのです。