とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

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互いの裏を満たす

互いの裏を満たす



「 主は、私の主に仰せられる。
『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』
 主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」
 あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り者を着けて、夜明け前から喜んで仕える。
 あなたの若者は、あなたにとっては朝露のようだ。
 主は誓い、そしてみこころを変えない。
 「あなたは、メルキデゼクの例にならい、とこしえに祭司である。」
 あなたの右にいます主は、御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。
 主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、
 広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。
 主は道のほとりの流れから水を飲まれよう。それゆえ、その頭を高く上げられる。」
(詩編110編1~7)


 人には必ず裏があります。何事にも裏というものが存在しているのです。たとえば、ビジネスをする時、売り手の要望と客の要求が一致して初めてビジネスは成り立ちます。「互いに互いの裏を満たす」ことにより商売というものは成り立つ常識があります。ただ欲しいものをくださいといってあげるやり取りにしても、大体は何らかの条件があるものです。たとえば、日本で言えばお歳暮やお中元があります。その裏にあるのは、常日頃の感謝の気持ちを込めてという裏の場合もあれば、あなたとの関係を長く続けたいという裏の意思の現れでもあるのです。
 投資にしてもそうです。ある貧困地域を開拓し投資する裕福な人々の裏の狙いは投資する分だけ様々あることでしょう。例えば、そこの資源や環境または人々を利用してお金の流れを作り、お金を集め、そこに将来莫大な利益を見込むという裏の狙いがある場合もあります。
 または、そこの治安を良くし、そこを観光地へと変えることで、そこに投資した人々に栄誉が与えられたりするものです。 また、自家用車ですら裏が存在するのです。自家用車は意思はありませんが、あらゆる条件が揃ってはじめて動くのです。つまり自家用車からすれば、ガソリンを入れ、オイルの点検をし、タイヤから電気系統まで、あらゆる整備が施されて、はじめて動くのです。つまり、自家用車一つ動かすのも条件があり、目的地にたどりつく、または気晴らしになるという裏が存在しているのです。
 人間の食事の場合も同様です。そこには、エネルギーを蓄えるという裏があったり、健康を守るという裏付けがなければ食事はとらないことでしょう。食事せずには人は生きられません。つまり、人は生きているだけで、何かを要求しているという裏付けが存在しているのです。
 世の中の成功者や勝ち組と言われる人々はその「互いの裏を満たす」ことに長けていたりするのです。人は互いに生かし活かし合う存在であってはじめて互いに利益をもたらす存在になるというわけです。そこにはイメージ戦略なるものも存在することでしょう。平和を願う一人の平和主義者がいたとします。その平和主義者の裏の狙いはなんでしょう?おそらく生きやすい世の中になることを願っているのかもしれません。日本の戦国時代に限らず、戦争というものはその国の生きやすい利得となることを目指して戦争が起こるのです。いわば自らの思想の平和のために人は殺し合いまでもしてしまうのです。互いの裏を満たすということで世界では大きな戦争を引き起こさずに済んでいるという現状は多々存在するのです。互いの裏が満たされないから戦争なるものが起きてしまうのです。
 聖書で、イエス・キリストは十字架に架かり何度も血しぶきを上げるほどムチで打たれ死ぬほど苦しみにあいました。しかし、それは、イエス・キリストご自身が耐えきれないほどの苦しみを貫いた理由は、そこには、救い主としての自覚と、ご自身が復活されるということを確信していたから耐えられたのです。人にはどんな人にも何か目的を達成するには苦労が付き物です。そこには、まだ見ぬ未来に苦労すれば必ず目的が達成できるという信じる希望と真実を確信しているから、苦しみに耐えることができるのです。しかし、イエス・キリストが人々を癒すことで、人々のニーズに答え、救い主として罪を赦し、神と人間との関係の和解という役割を果たして復活されたように、互いの裏を満たすということなど世の中には裏があるということも良く知らねば、達成できる目的も達成には至らないことでしょう。



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