とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

先入観にとらわれない聖書解釈のもと、

聖書に興味がある方に見てもらうためのブログ

いかに生き、いかに活かすか

いかに生き、いかに活かすか



「 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」
(ローマ人への手紙8:11)


 キリスト教会は多くの献身者のみならず多くのクリスチャンの殉教による死によって世界中に福音を知らせてきた歴史があります。 しかし、決してその殉教者たちは、死を願っていたわけではないと私は思います。ただ、キリストを信じるキリスト信者の場合、ただ堕落したような生き方や他者の利益を考えない神を中心としない生き方をするよりは、天に召された方がマシだという考えがあったのかもしれません。 キリスト者とは、この世の栄光に価値を置くのではなく、見えない天の神の栄光に価値を置くものだからです。 キリストはご自身が、世界中の人類の個人個人の罪のため、身代わりになり十字架に架かりました。 歴史に名を遺した弟子たちや、殉教したキリスト者たちは、キリストと同じような死に方をすることは光栄なことだと思っていたといいます。 彼らには、この世で生きること以上にキリストにある平安を伝え福音を伝え、天に宝を積む永遠のいのちが約束されていることの方が価値があったのです。


 今の時代の日本には、自殺者が多い現状がありますが、どのような死に方をするかに価値を置く人々の方が多いように感じます。しかし、聖書は、どのように死ぬかに価値を置いている書物ではありません。聖書は、逆に神を信じ、どのように生きどのように神に活かされ生かされるかを重要視している書物なのです。 私が、このような伝導文を書き綴りはじめた理由は、はじめは、財産もなにもない私のようなものが、いつ死んでもいいようにキリストからいただいたいのちの生きた証しを残したいと思ったからでした。 しかし、今はそれもありますが、いかに聖書から気づきを与えられ、キリストによって生かされ、他者を生かし、聖書を生きた書物として生活に活かしていくかということに焦点を合わせています。
 私は生きるために、他者を生かすために、聖書からヒントを得て、このような伝導文から一人でも長寿で幸せな祝福された生き方を神から与えられるヒントを得る人々が増えて欲しいと願っております。


 神は、世界中に存在する一人一人の個人のいのちを大切にしておられます。
聖書のヤコブ書にもあるように、「神は全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」のです。
 私たちは聖書を読むとき、それを益とするかそれとも不利益とするかは、私たちの解釈と気づきと選択に賭かっています。 昔から多くのキリスト教会は、天に昇天された人々を美徳とする価値観を持っていますが、この生きた信仰生活の中で、いかに祝福され神に愛される人生を送ったかは、それ以上に重要なことなのです。
 聖書にあるように、「生きているうちの信仰」でもあるのです。聖書によっていかに生き、いかに聖書を活かしていくかはその個人個人のその人にしかない気づきにかかっているのです。
 聖書は「死」を実感するための書物ではありません。むしろ、キリストをよみがえらせた方の御霊による「生」を実感するための書物なのです。
 固定観念や先入観を持たずに、聖書の神がなにゆえ全世界の被造物や人類を神の作品として創造し、「それは非常によかった」とし、キリストを通してユダヤ人のみならず全異邦人にも救いの福音をもたらしたのか、神により人が祝福されるために必要なことが書かれた聖書を生かし気づきを大切にしていきましょう。