とあるいち聖書ライターのブログ

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恵みと報酬の違い

恵みと報酬の違い




「 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引網のようなものです。 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪い者は捨てるのです。 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」
(マタイ13:47~50)


 力とはまず何を思い浮かべるでしょう? それは、人を動かす力であったり、金の力とはよく言うものです。人を生かすのも力であり、人を滅ぼすのも力です。まず、聖書を読み解くと、力のあるところには、「報酬と恵み」の両方があることが分かります。
 報酬とは、値する者、価値ある者の働きに応じて当然支払われるべき収入です。対して、恵みとは、値しない者、価値のない者の働きに関係なく与えられるべきものです。
 それでは、株価が上がることは、「報酬」でしょうか?それとも、「恵み」のどちらでしょうか?
株価が上がるということは、それだけ、その会社に価値を置いている人々が存在するということであり、その会社の働きが認められる、いわゆる報酬であります。しかし、株価が上がるとは、そこの会社の未来にお金を投資するという「恵み」もあるのです。つまり、株価とは、「報酬」と「恵み」の両方があります。株価には、それゆえ変動があります。 
 世間がその会社の将来に価値を置く人が減った時に株価が下がったり、その会社の株を持っていても利益に見込みがないと予測して株価が下がるのです。 かえって、「恵み」とは、その会社に価値がなくても株式会社として成り立っているところに「恵み」があります。
 世間は「価値のない」ところの会社の株は買いません。つまり、金の力には、圧倒的に「恵み」が不足していることが分かります。自らの安全と利益のみを考えるところには、「報酬」は存在しても、「恵み」は存在しないのです。
 聖書で、天の御国の話の中で、世の終わりの話が出てきます。世の終わりには、海におろしてある地引網のあらゆる種類の魚を集めるように、網がいっぱいなると、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるとあります。つまり、株価の仕組みと同じです。 正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込むとあります。このように投資というものも、将来的有望な正しい者には投資し、将来的害のあると見込まれる正しくない者には投資しないということがあるのです。
 しかし、賢い投資家の場合、どこの会社の株を買って価値を上げれば、世界の治安が良くなるかということまで考えたりします。つまり、世の終わりでない、恵みの時代には、裕福な投資家に自らの利益のみを考えない平和を考える知恵と力がそこにはあるのです。 そのような人々の存在が世界の個人個人の暮らしを守っているという現状が少なからず存在するから、世界に大きな戦争が起きたり、世界的大不況に陥ったりせずに済むということが言えます。
 ここでは、金の力をとりあげましたが、主のみこころであれば、だれでもどこにでも行けるようになる、だれでも良い立場に立つことであったり、良い収入を得ることができるという「恵み」の力が存在するのです。




「 しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところへ行きます。
そして、想いあがっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。
 神の国はことばにはなく、力にあるのです。」
(第一コリント4:19~20)