とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

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小さな器をも造り変え用いられる主

小さな器をも造り変え用いられる主



「 すると、主は彼に向って仰せられた。『あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。
わたしがあなたを遣わすのではないか。』
 ギデオンは言った。「 ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。
ご存知のように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」 」
(士師記6:14~15)


 聖書を読めばよく分かるのですが、神は、小さな力のないような器をも、のちには大きなことを成し遂げる器へと造り変えてくださることがあります。ダビデ王も、預言者サムエルも、そしてこの士師記に出てくるギデオンも最初は小さな器でした。とても、大きなことを成し遂げる器とは、彼ら自身知らなかったのです。しかし、ダビデ王は、家族の中で小さな者で親の手伝いの羊飼いとして羊の番をする役目でしたが、あの大きな敵、ゴリアテを倒し、神の霊がダビデに宿り、イスラエルの初代の王サウルという大きな敵を目の前にしながらも、数々の神による功績を残して、イスラエルの盤石を築き、イスラエルの王として君臨し、子にはソロモン、子孫としてはイエス・キリストがお生まれになったのです。
 そして、預言者サムエルは幼いころ、祭司のもとにいましたが、そこで、神が「サムエルよ」と呼びかける声を聞きます。しかし、サムエルにはそれが神の声とは判断できず、その育ての親の祭司エリが呼んでいるのだと思いました。しかし、その祭司エリのもとへと何度かサムエルは「私を呼びましたか」と尋ねるので、祭司エリは、神が幼いサムエルに語っておられることを知るのです。そして、小さなサムエルはのちにイスラエルの王国を築くための偉大な預言者へと成長するのです。
 そして、私自身が個人的に一番に力も信じる信仰も乏しく、小さな器として成長した印象のあるのがギデオンです。ギデオンは、御使いに出会いますが、それをはじめ、どのように神からの使いなのか、信じることができず、その記しを求めたほどに疑い深かったのがギデオンです。彼には、自分自身に自信が全くありませんでした。彼は、自分のようなものがイスラエルの何かしら勝利をもたらす存在になるとは到底思えなかったのです。そんなギデオンが、イスラエルの大きな敵であるミデヤン人からイスラエルを救うのです。それは、信仰の弱かったギデオンを、神が信仰の強い器へと造り変えて、何度もギデオンの前で、奇跡を行い、「ギデオンの剣」と今なお語り継がれるほどに、彼にイスラエルを救う強い影響力と信じる強い信仰を与えたのです。
 私たちは、聖書で偉大な功績を残した人々は、初めから強かったような印象を受けます。しかし、実際には、そうではないことの方が多いのです。最も小さな器の謙遜な心に神は目を留められるのです。強い人というものは、神の力にすがるのではなく、自分の力に頼る性質があります。
 しかし、弱い人というものは、自分に力がないために、神にもすがろうとする特徴があるのです。そこで、神は、神の栄光を知らせるべく、弱い者を最も強いものへと造り変えていくいわゆる神の御業をイスラエルや世に知らせるのです。これは、私たちの誇りが、自分自身や血筋によるのではなく、キリストを誇るために、弱さを強さに変える神の御心の現れなのです。
 現在の民主主義において忘れてはならないことは強いものを誇りとし力を集めるのではなく、最も弱い教会のような場所が存続できるように、最も弱い者を大切にすることで、社会は平和を感じることができるのです。聖書は弱さを誇り、キリストを誇りにすることの大切さを教えているのです。最期に使途パウロの証しの聖書個所をご紹介します。



「 私は使途の中では最も小さい者であって、使途と呼ばれる価値のないものです。
なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対する神の恵みは、
むだにはならず、私はほかのすべての使途たちよりも多く働きました。
しかし、それは、私ではなく、私にある神の恵みです。」
(第一コリント15:9~10)



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