とあるいち聖書ライターのブログ

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無知の知

無知の知


「 自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。
 彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」
(箴言27:12)


 先日、ある経済ニュースコラムで、「世の中すべて知っている系が厄介な理由」という題の記事を拝見させていただきました。この「世の中すべて知っている系」とは、全てにおいて達観しているため、向上心がなく、「意識高い系」よりも厄介だと言うのです。 
 確かに、得意分野などで成功を治めた人には、あらゆる分野に通じるいわば、「悟り」のようなものがあるのかもしれません。しかし、それは、あくまで、その人個人の経験してきたことにおいてであり、その人の生きた時代のことでしかありません。全ての人は、違う経験、違う人生を歩んでいます。世の中の全てを知るということは不可能であり、全て知っていると思っていること自体が愚かなことなのかもしれません。
 哲学者ソクラテスは「無知の知」という言葉を残しました。無知であるがゆえに多くを知っている場合があるのです。それは、知恵を吸収する違いもあるかもしれませんが、それよりも、無知であるがゆえに斬新な視点を持っている場合があるからでしょう。また、多くを知れば、苦労も増すものです。
 しかし、無知であることは無知がゆえに考えるという苦労が少ないのかもしれません。
 私の父方の祖母は、宮古島出身者でしたが、いつも口癖は、宮古島方言で「バ、はノーマイ、サン(私は何も知らない)」でした。それは、私の父たちの兄弟は7人兄弟で、祖母の夫である祖父を早くに亡くし、兄弟同士いつも困難な状況がやってきたり、いつも争いごとが絶えず、祖母に相談をもちかけていたことで、祖母を煩わしていたこともあるかもしれません。
 しかし、祖母は「私は何も知らない」ということで、それぞれの子供たちに、「自分たちで考え、自分たちで問題を解決する能力」を高めさせたのです。
 そもそも、祖母にそんな狙いがあったのかは分かりません。単に、祖母は難しい煩わしい物事を避けて通りたかっただけなのかもしれません。しかし、祖母の「私は何も知らない」という言葉は、結果、父たち兄弟姉妹を互いに協力し、自分たちで解決することを教えたのです。
 ここで、聖書に視点を変えてみたいと思います。
聖書は、神を信じる人々や、そうでない人、また、神の事を語っている書物であります。この聖書ほど、解き明かすのに難解な書物はないと私は思えます。なぜなら、この「神」という概念は、目には見えないものであり、そこに価値を置き、その証明困難なものを信じ、知ることだからです。
 よく、キリスト教会の説教者で、聖書のことはなんでも知っているという顔をした人を見かけます。
しかし、聖書を何回、何十回、何百回と解き明かしたところで、その人自身、「神」にはなれないのです。さも、「神」のことは何でも知っているかのように、世の中のすべてに対してメッセージするような人がいますが、聖書は解き明かしたと思った瞬間に、「疑問」が出てくる書物でもあるのです。
 聖書自体にこうあります。「しかし、逆に聖書は全ての人を罪の下に閉じ込めました」(新約聖書)
聖書は、罪から悔い改めて、神を信じさせることを目的とした書物のようですが、逆にすべての人を罪の下に閉じ込めたとあるのです。
 つまり、人は全てを知ったと思った時点で、その人におごりや高ぶりが生じ、逆に愚かな者になってしまうこともあるのかもしれません。
 私が、聖書から学んだことは、
 「行き過ぎた知識は人を高ぶらせるが、愛は人の徳を高める」
ということが言えるということです。確かに人間は生きる上では、知識は必要ですし、誰か他者を助けたいときには、知識も必要かもしれません。しかし、イエス・キリストに目を向けたとき、彼は決して知識をもって人を愛したとは言えないのです。イエス・キリストには知識もあったことでしょう。しかし、どちらかと言えば、その知識を自制し、すべて経験と行動により、病人などに仕える姿勢をとったのがキリストです。そのキリストの知識をひけらかさず、他者の罪のために、十字架に自らの命を捧げる姿勢に対して、弟子たちや多くの人々はキリストを救い主と信じたのです。まさに、自らの命を犠牲にするということは愚かなような、無知の知はなのかもしれませんが、その行動により人に気づきと救いを与えることができたのです。
 キリストの知識を信じるか、愛を信じるかは、その人の自由ですが、「愛」という裏切られるリスクのあることを信じることは、金銭の力がものを言う現代では愚かなようなことかもしれません。しかし、その「愛」を信じる「無知の知」が、実は多くの人々が求めている、個人の心に癒しと元気を与える秘訣なのかもしれません。