とあるいち聖書ライターのブログ

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ギバー&テイカー

ギバー&テイカー



「主はこう仰せられる。『公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現れるのも近いからだ。」(イザヤ書56編1節)


 先日、インターネットの経済コラムで、ギブ&テイクについて面白い記事を拝見させていただきました。「与えると損をする?」という題名でしたが、このことについて、不思議にも裕福な富裕層と貧しい貧困層の共通点は「与えること」をすること、ということでした。 富裕層と貧困層が、ギバーであり、中間層に、「受ける方」を重視するテイカーが多いということなのです。
 ただ、富裕層と貧困層の違いは、富裕層は与えて、周りをも富ます力があるのに対し、貧困層は受ける以上に与えてしまうので、周りを富ます力に乏しく、消費者金融のように受ける側だと思われがちで、周りから反感をくらい、周りを富ます力があるとは思われてはいないということなのです。
 つまり、富裕層が働く場合、100万円あったとしたら、10万円頂いて貯蓄に回し、残りの90万円は与えるから、周りは富むということで、中間層の場合、100万円あったら、これだけ働いたのだから90万円は貯蓄したいと求める人々が多いということなのです。そして、貧困層の場合、100万円の働きがあれば、100万円すべて使ってしまう、いわゆるすべてを他者に与えてしまう、ということなのです。富裕層が会社に90%の利益を出そうと思っていることに対し、中間層は会社に10%の利益をだそうと考え、貧困層は、会社の利益関係なしに与えられた分の100%を他者や他企業に与えているということになるというのです。
 この原理を考えた場合、より貧困層にお金が集まれば、社会の経済の循環はよくなり、好景気を迎えることができるということになります。信じられないような話ですが、貧困層の収入をあげることが100%に近い割合で社会に還元するということなのです。
 誰でも、与えて財産がなくなるような生活をするよりは、蓄えて、受ける側のままでいたいものです。それが、富裕層がほんの少し受け、与えることの大切さをよく知っているから、周りまで富ませ、いつも周りから好かれ気づけば周りから、お金が集まるほどの評判の人物になっているということです。簡単に言えば、富裕層と貧困層の違いは、「謙遜」にあるのだと思います。富裕層が欲がない場合があるのに対し、貧困層が欲があるからお金を使い切る与える側に回ってしまい、いつも貧困になるというケースが多いということなのです。
 聖書では「受けるより与える方が幸いです。与えられるからです。」と語っています。これは、イエスは、自分がこうなりたいからという前提での、与えるものが幸いと言っているわけではないのです。それを富裕層の場合知っている人が多いのでしょう。無条件に、これだけの収入で良しとする性質の中で、与えることの大切さを知っているのと、まだまだ、収入が欲しいと思っている中での与えるとでは大きな違いなのです。「周りを幸せにするために与えるから、自分も幸せが与えられる」そのようなことをイエスは言いたかったのかもしれません。
 私は、どちらかと言うと、いつも受けたい側のテイカーに属するのだと思いますが、あわれみ深い神様の性質を知っていて実践している人が周りをも自分をも富ます謙遜さを身につけるのだと考えさせられました。 これで、欧米などのキリスト信者の中に富裕層が多いことも理解できます。今までは、彼らは欲深いから、聖書をその頭脳で利用し富んでいる、と思っている部分はありましたが、それは間違いで、彼らは神様の謙遜さを知っていて周りの人々を幸せにしてきたから、神様から多くの恵みを頂いているのだと思います。実に、高いものは低くされ、低いものは高くされるという聖書のことばの通りです。



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宮國