とあるいち聖書ライターのブログ

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生きるを養う

生きるを養う



「ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ量りきれなくなったので、
ついに量ることをやめた。」
(創世記41章49節)



 この自然災害の多い現代で、私たちは蓄えることの大切さをこの、ヨセフの時代から読み取ることができます。いついかなるときのためにも、備えあれば憂いなしです。


 これは、子の子育てにも同様なことが言えるのではないのでしょうか?
大人になれば皆苦労します。自らの判断で責任をもって生きていかねばならぬのが大人社会です。子供の頃に、愛情をたくさん受けて育てば、大人になって辛いことがあったときにそのことがふとしたきっかけで思い出し生きる力となります。 自己の存在肯定力は子供の幼少期に養われるものです。
 ヨセフの時代、七年間の豊作の時期と七年間の飢饉がありました。その飢饉を乗り越えるために豊作の時のたくわえで多くの他国までも救うことができました。
 つまり、家族が裕福な時こそ、家族に愛情を注ぐチャンスなのです。お金を蓄えることも良い事かもしれませんが、結局お金だけ蓄えても、その子供や孫たちに愛情を注ぐことができなければ、孤独な最期を迎えることになるでしょう。財産を残して、この世を去ることも、後の子供たちの飢饉のような暮らしのためには益となることでしょう。しかし、子供たちにとって一番に必要なものは、お金よりも消えてなくならない生命力であり愛情なのではないのでしょうか?


 お金を蓄えるその使い道は、親と子、孫、兄弟で皆で遊んだ記憶に残るコミュニケーションに使うことも良いかもしれません。教育にお金を使うことも良いことですが、家族皆で楽しんだ記憶というものは決して何物にも代えられない財産となります。 私には、貧しい祖母がいました。祖母は貧しい中からも、僕らが集まると、いつも砂糖天ぷらを造ってくれました。祖母はお金以上に僕たちにかけがえのない思い出を与えてくれました。豪勢な食事をふるまえなくても愛情は伝わるものです。
 祖母のように貧しくとも少ないお金で愛情や思い出を注ぐことができるのですから、お金のある家庭の場合なら、なおさら使い道は豊富にあることでしょう。
 天国にまでお金は持ってはいけないのです。ですから、天国をこの世で再現してこの世を去ることができたらどんなに幸せな人生を送ったと言えるでしょう。


 思想家、文学者、伝道者、聖書学者で知られる内村鑑三はこのように言っています。
              
 「誠実から得た信用は最大の財産となる」


 死んでも生きる思い出か、死んでも生きる使えばなくなるお金という財産か、それぞれ分かれるかもしれませんが、たとえお金の有無に関係なしに、築ける財産を残したいものです。
 辛いことが多くても最期のどんでん返しの人生の肝心要はやはり最期の締めくくり方なのかもしれません。