とあるいち聖書ライターのブログ

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いかに死ぬかより、いかに生きるか

いかに死ぬかより、いかに生きるか


「 わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。
 しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」
(箴言1:32~33)


 多くの人は死を恐れて生きていることでしょう。それは、死には苦しみが存在するからです。
私は、11年間飼っていた犬の最期と、母方の祖母を看取るという経験をしました。
正式には、祖母の場合、胸騒ぎがしたので、夜中の救急治療室にいた祖母のもとへと駆け付けたのですが、私が着いた時に、心拍数の息を引き取ったことを意味する心拍数のブザーが鳴り、ほんの数秒遅れてしまいました。
 その死を迎える祖母の最期の様子を母から聞きましたが、祖母は、「あっ」と声を発して亡くなったようです。母が言うには、祖母もクリスチャンでしたから、「イエス・キリストが迎えに来たのだろう」と言ってました。 祖母は、延命治療を続け、長く最期まで苦しんで、天に召されました。その祖母の様子を見ていると、「早く楽になりたい。でも、死にたくない。家族の皆と別れたくない。」という決死の想いが伝わってきました。
 私は、延命治療というものが、こんなにも苦しみの長く続くものであるなら、いっそ苦しみを短期間に抑えた方が良かったのではないか?と考えさせられたものです。
 飼っていた犬が臨終した時、それは、長い間、腎臓を弱らせ、食べることもできないという、苦しみの中を必死に生きる存在があったのです。
 私は、祖母の死も、犬の死も、共に長く苦しんだ最期であったことが、生き物の最期とはこうも苦しいものなのかと、思わされました。犬は話すことができません。しかし、人間は話すこともできます。
クリスチャンの方で、天に召された方の場合、苦しみの中にもキリストを信じて天に凱旋できるという確信から、安らかに亡くなる方もいると言います。
 私が、祖母やペットの愛犬の死を通して一番に思わされたことは、どんなに苦しんでも、人間はいかに死ぬかよりも、いかに生きるかの方が大切だということを学びました。
 実は、愛犬と祖母の死後、私は、二度の自殺未遂を経験しました。今まで、支えになっていた祖母や愛犬がいなくなり、とても、孤独を覚え、生きていることが辛くなり、死んで天に召された方が楽だと思ったからです。 しかし、今思えば、それは、祖母や愛犬の死を無駄にすることだと思わされたのです。 祖母や愛犬は、生きたくても生きられなかった、そして、最後まで、生きるということを諦めなかった姿があったのです。祖母の場合、尊厳死を選ぶことすらできませんでした。延命治療は母たち家族が決めた事だったのです。
 自分で、自分の死の苦しみを和らげ死を早める尊厳死が今、注目されています。
これは、時代によっては非常に有意義なことなのかもしれません。
聖書で、イエス・キリストは十字架に架かり、あまりの苦しみに「神よ何故私をお見捨てになったのですか。」と語られました。しかし、息を引き取る時「完了した」と死を受け入れるキリストの姿があったのです。 
 私たちは、人生の最期の時、キリストのように、死を受け入れ、「完了した」と言えることが、どれだけ、自分の生きた人生を満足できるものとなることでしょうか?
 苦しみの多い人生ですが、死を受け入れるという最期の時に、祖母が、「あっ」と言ったように、その最期の言葉を発せられるということが、どれほど、高価な生き様を現しているのかと思わされるのです。また、静かにお亡くなりになる方もいらっしゃることでしょう。それも、眠るように安らかな最期として尊いものです。 いずれにしても、私たちは、今、生きています。どのように、死ぬかではなく、人は最後までどのように生きるか、どのように生きたかが誰にとっても重要なことなのかもしれません。「終わり善ければ全て善し」という言葉もあるとおりに、天に召された祖母は、愚痴ばかりを言って、あまり有意義な人生を送ったようには見えませんでしたが、最後に想いが伝わってきたのです。その時、初めて、祖母の生きた人生の重みを思い知らされたように感じました。祖母の言葉で心に残った言葉は、「人は誰しも一人では生きてはいけない。」です。そして、天に召された祖母の姿を見たとき、「人の死は、生きた証しを最期に残すチャンス」だと思わされたのです。  私たちは、何を伝えられるでしょう?祖母と愛犬は「生きることを諦めない」という証しを残してくれました。それは、まるで生きてきたということが幸せだったと証ししているかのようでした。
最後にキリストの言葉で締めくくりたいと思います。
「 『なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。』~『あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。』 」(ヨハネによる福音書6:27~29)