とあるいち聖書ライターのブログ

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もたらす影響

もたらす影響


「 『 人の子よ。国が、不信に不信を重ねてわたしに罪を犯し、そのためわたしがその国に手を伸ばし、
そこのパンのたくわえをなくし、その国にききんを送り、人間や獣をそこから断ち滅ぼすなら、
 たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、
彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。』 」
(エゼキエル書14:13~14)


 人の「もたらす影響」について考えてみたいと思います。多くの人は、他者から受けてきた影響の大きさによって人格形成されるということが言えます。
 ですから、治安の悪かった地域には教育が必要であると考える人は多いものです。
 今の教会や心理学では、人の人格形成は3歳頃までに親や家族などから受けてきた影響によって形成されることが多いと言います。ですから、いかに幼子を大切に育てることが重要なのかということが言えます。
 また、不幸な中で育ってきた人は他者を不幸にすることをなんとも思わないことが多いことでしょう。逆に幸せな家庭に育ってきた人は、幸せな家庭を作りたいとか、他者を幸せにすることに人生の意味を見出すのかもしれません。
 人は受けてきた影響、受けていることを、他者に与えるように出来ているということが言えます。
なぜなら、受けていることを現実に周りにもたらすということが自分を発散する方法ということが言えるのです。
 たとえば、口論がもとで起こる喧嘩などを考えてみましょう。自分の意見が通らないことや、自分自身が非難されることを良くは思わないために、喧嘩というものは生まれてきます。つまり、傷つけている相手に対して満足しないために、互いに傷つけようとするから喧嘩という状態になるのです。また学校などで、虐めを受けてきた場合、他者の誰かにその虐められている人は、発散しようとする性質があると言えます。つまり、虐めとはいじめられっ子が生み出す傾向があると言えるのです。  私は、幼いころ兄に虐められている時期がありました。しかし、その虐められている時に、やり場のない怒りからたまたま家に湧き出ていた蟻がいたため、その蟻たちを集めて、瓶の中に入れて窒息死させるということを見て、発散している自分がいたのです。
 誰かに現在進行形で虐められている人の場合、現在進行形で誰かを虐めているという場合が多いのです。 聖書では、イエス・キリストは人々を病から癒したりして多くの奇跡を行い救いに導いてきました。しかし、イエス・キリストは、その存在を良くは思わない人々の手によって十字架刑に処されて命を落とします。これは、虐められても虐めることなく、最後まで耐え忍んだ救い主の姿があったのです。
 普通の人は、虐められるとその反動から憎しみをもったり、誰かにその仕返しをしようと考えます。
しかし、天の御国を信じる人の場合は、この世の成功以上に、天に宝を積むことに価値を見出すということが言えます。それが、犠牲愛をもっている神の性質であり、神の御心であると信じているからです。 
 しかし、そのような正しい人が存在しても、旧約聖書では、神は飢饉など災いの時は、その正しい人だけが生き延び、不信の罪に陥った人たちは滅びると記されているのです。
 聖書が言っていることが本当なら、天災の多い地域は、そこに数々の不信があるということが言えるのかもしれません。
 私たちは、生きる上では幸せになりたいと誰もが願うことでしょう。しかし、幸せとは決して自分よがりには生み出せないものだと私は思います。それは、人の世は一人自分勝手には生きてはいけないように出来ているのです。たとえ、自分勝手自己中心に幸せを感じている人が存在したとしても、そのような人は、その人とつながりのある弱い立場の誰かが、必ず犠牲になっているということが言えるのです。その人に直接害を与えきれない代わりに、誰かが身代わりとなっている現実は少なからず存在しているということが言えるでしょう。
 人によって幸福の価値観は様々かもしれませんが、私たちの平和は必ず誰か他者の支えによって成り立っているということを忘れたくはないものです。




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宮國