とあるいち聖書ライターのブログ

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家族を愛するサンタクロース

家族を愛するサンタクロース



「 するとイエスは、5つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚も皆に分けられた。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れを12のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。パンを食べたのは男が5千人であった。」
(マルコによる福音書6:41~44)



 人間の生活に最低限必要なものは、衣・食・住と言われています。しかし、世界には食べる物や住む場所、着るものに困る人々すら存在します。私たちは、普段、食事ができるということはどういうことなのかあまり深くは考えたりはしないものです。スーパーやコンビニに行けば食糧は売っていて、飲食店へ行けば食事にありつけます。しかし、その場合でも、貧しい人々は借金をしてしか食事にありつけないという人々も存在するのです。クリスマスシーズンの頃、クリスマスを祝うことに反対する人々がいたりするのは、なにも異国の宗教を嫌う人々がいるというだけではなく、貧しくてクリスマスにお祝いをしたり、プレゼントをもらった経験のない人々が案外多かったりするのだと思います。
 サンタクロースのモデルとなった、カトリックの聖ニコラスと呼ばれる人は、ある家庭が貧しいため三人の娘が身売りせねばならないという、姿を見て、その家庭に煙突から金貨を投げ込んで与えたと言います。
 私たちが、食にありつけるのは、地球の自然が機能して、初めて自然の恩恵を受けて、植物が育ち、動物が生き、海の産物たちが生きることができるということです。大地の恵みは天からの雨、天からの光が存在して、大地の恵みは存在することができるのです。
 イエス・キリストはわずかなパンと魚で5千人もの人々に分け与えそれぞれを満腹させるという奇跡を行いました。これは、神だからできた奇跡ですが、今の時代も、知恵を凝らし、わずかな生き物や植物を大量生産する養殖技術などが存在するのです。
 サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスには、貧しい家庭をあわれむ心があったのだと思います。同じように、聖書でも、父という存在の完全者なる神、母のような存在の助け主である聖霊、そして子である救い主、という家族のような強い絆で切っても切れないような関係であると言います。
ですから、その家族を愛する心が聖ニコラスにはあったのだと思うのです。
 人間社会は文明が存在する以上、経済的に裕福な人と貧しい人々が存在します。それゆえ、貧しい人々でも、生活できるため、職や労働により、収入源を得ることができるのは、その人々に投資する人々や報酬を与える人々が存在するからです。経済界にしても、あわれむ心と与える人々なしには、貧しい人々が生きることはできないのです。
 神は、全ての世界を創造した創造者だと聖書は教えています。クリスマスはその昔イスラエルの片田舎の馬小屋の中で救い主が誕生したということが始まりです。それは、ローマ帝国が支配し、残虐行為や乱れていた世界に希望と救いをもたらす救い主の誕生でした。
 キリストは、もともと天で神のそばに右腕のような存在として世界が創造される前から存在していたと言います。しかし、その神の子が、人間の子として、聖霊により、救い主として世に降誕されたのです。 神はその人間たちの叫びのような悲痛やうめきの祈りを聞いていたのかもしれません。
 日本でも、経済が低迷していた何年か前には、貧しい人々のために、年越し派遣村などが存在し、貧しい人々に炊き出しなどを与える人々が存在しました。
 また、貧しい子供たちのために、月光仮面のごとく、黒ヘルメットでバイクにのり施設の子供たちにランドセルを購入する経費として欲しいと、多額の資金を提供する人なども存在しました。
 人間社会は、苦しい時ほど、サンタクロースのように人間の価値が光る時なのかもしれません。
今年も、クリスマスがやってきますが、たとえツリーがなく祝えることがなかったとしても、その夢を託す心だけは失いたくはないものです。