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神が見させた琉球グスクの夢

神が見させた琉球グスクの夢


 半年ほど前、一つの夢を見た。中グスク城らしき、城壁の高い城にそびえたつ正殿の夢だった。
 中グスク城のみならず、琉球のグスクの跡地には、城壁はそびえたっているが中身の正殿が空の状態である。沖縄戦でなくしたのか、それとも、琉球処分により、グスクの正殿を残すことを禁じられたのかは、定かではないが、琉球の多くのグスクの正殿の姿は歴史の闇に葬られたのか、謎である。その夢の内容では、城壁の中の中心部の正殿の姿は、ものすごい荘厳で首里城以上に高く広く大きく、迫力が際立っていた。中グスク城を建てた人物は、築城の天才と言われる護佐丸という人物だという。その夢に出てきたグスクの正殿の姿は、木造建築であると思われるが、その木造の高さが信じられないぐらいに高く、まるで、屋久島の縄文杉を使ったのかと思わせるぐらいの高さがあった。
 正方形型の建物で、屋根の角には左右両端に黒光りと黄金の混ざった漆のような輝きを放つ竜の首から上が備えられ、木造の壁には、これもまた首里城を思わせる赤漆のきらびやかな輝きと木造をつなぐ壁の模様には金箔のもようと漆黒の輝きを放つまるで大蛇の鱗を思わせるような模様だった。
 しかし、屋根は、首里城を思わせる赤瓦ではなく、黒光りした、瓦のようなもので出来ていた。


 大まかに言えば、正方形型の城の正殿の造りだが、屋根は首里城に近い形であるが、
今の建物でいえば、約7階建てには匹敵するほどの高さがあった。
何平方メートルあるだろうか?明らかに首里城より大きく、権力の偉大さを感じさせる城だった。
 琉球の歴史を考えるなら、三山統一を果たした尚巴志により、首里城が琉球の全ての権力を握ったはずなのだが、首里城より偉大な城がほかのグスクに存在したとは考えにくいが、琉球の歴史の文献から造られた琉球王統誌という小説によれば、首里城も浦添グスクを模範として造られたという。現在、浦添大公園で知られる、浦添グスクも、かなりの敷地と攻守のためか考えられた造りになっているが、その正殿の跡は残ってはいない。
 今帰仁グスクにしてみても、あの山の頂上にある、城の中に桜並木がそびえたつ難攻不落と言われた城だが、その正殿は跡形もなく消えている。
 もしかすれば、その圧倒的な城の造りが、琉球を属国とした現在の中国である明や清、もしくは、日本の江戸幕府にその権威を象徴させるために、グスクの正殿あとをことごとく闇に葬った可能性はあるかもしれない。
 琉球を統治した、首里城はそれで、あまり、偉大さを示さないような正殿の造りにされた可能性は少なからずあるのかもしれない。
 この夢で見た城は、景色からしても、おそらく中グスク城の正殿だと思われるが、琉球の歴史が闇に葬られることを悲しんだ琉球の士師の先祖たちの霊が見させた夢なのか、それとも、神がその夢を見させることで、人々に何かを伝えようとしたのか定かではないが、それにしても、凄い城の造りだった。
 聖書の中に、こんな言葉がある。 「 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。~ 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。」(伝道者の書3:11~15)


 この聖書の伝道者の言葉はどれだけ信じられるか、信憑性があるのかは常識的に考えれば、信じられないのかもしれない。しかし、今も昔も人の夢や何かを追い求める心は変わらないということをこの摩訶不思議な夢を見たことから考えると、あながち聖書も信憑性がないとは言えない。