とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

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神のドラマによるいのち

神のドラマによるいのち 



「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。
母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
イエスはますます、知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」


(ルカによる福音書2:51~52)


 キリストを救い主と信じる恵みある教会の特徴は、人間に必要な自由や夢や平和な家族を大切にする特徴があります。教会は聖書の神の愛だけを教えるわけではなく、コミュニティの中で家族のように成長する信徒一人一人の祈りと絆を大切にするということも言えるでしょう。
 すべての人は、どんな生い立ちであれ、神様の愛ある御計画によってこの世に生まれる神様にとっては個人的な賜物のような存在だと言います。
 ここで人間が生まれるとき、今の時代にある、体外受精やクローン技術による問題点を考えてみたいと思います。
 体外受精の問題点は、分娩による苦痛がない分、生まれた子供への喜びや愛情が少なくなる場合が多いと言えるのかもしれません。
 なぜ、人間が普通のセックスで子を産むことが大切なのでしょうか?
 それは、互いに愛し合った両親の存在があったということを知って、人は人を愛することを覚えると言えるでしょう。
 体外受精の問題点はセックスによらず生まれるという人間本来のスキンシップなしで、生まれたということにより、生まれた子供は、育つにして、ロボットのような自己価値を無意識のうちに覚えるようになりやすいとい言え、科学的に解決することだけが、一番に最善だと考えやすくなる可能性があると考えられるのです。
 クローン技術で生まれた人や、体外受精で生まれた人の場合、人間本来の愛によって生まれるということを知るため、余計にスキンシップや、聖書を信じる教会などを通して、コミュニティを通して愛を信じるように育てることは、非常に大切になってきます。
 クローン技術や体外受精で生まれた人には、愛する人とのセックスによる普通分娩で子を産むことにより、古き良き人間らしい生き方にある幸せを感じることにより、苦痛や苦労を通して、子を持つ喜びを知り、人間本来の魂が自分にもあると確信しやすく、命の尊さを知り、自己価値感が高くなると言えます。
 だから、本来、人間がテクノロジーや最先端医療で生まれる技術を広めるよりは、より、自然的な古き良きかたちで互いに愛し合うことにより生まれる、普通分娩で子を持つことを広めることは、人間がより、命の尊厳と幸福の意味を理解するためには、必要だと言えるでしょう。


 飢えた状況に置かれた人は、いくら健全な人格の持ち主であれ、そこに食する物が人肉しかなかった場合、生きるために人肉を食することも必要になってきます。
しかし、人間の尊厳を理解できない人の場合、食べる物があり、たとえ飢えている状況でなくとも、好奇心や人格的な問題から人肉を食するために、人を殺めることをなんとも思わなくなったりすることが考えられるのです。
 これは、互いのセックスにより、普通分娩で生まれた人間とか、クローン技術や体外受精で生まれた人間とかに限らず、それなりの、愛に対する受けてきた愛情や価値観がしっかりしていれば、
そのような人間の尊厳を見失うような価値観には至らないと言えます。


 聖書で、イエスの母のマリヤは聖霊により身ごもりイエスを生みます。
しかし、マリヤにはいいなずけの愛する関係であったヨセフという人がいました。
ヨセフはマリヤが妊娠したことを知ったときのショックは大きかったでしょう。
しかし、マリヤもヨセフも共に神を信じ敬虔であったため、御使いにより
身ごもった子は救い主と知ります。
 イエスには互いに愛し合う人格の優れたヨセフとマリヤという両親の存在があったのです。


 私たちの生きる人間社会では、聖書にある感動的なドラマや、神のもたらす奇跡などは信じられないような常識の中に生きている人々がほとんどです。
しかし、その聖書にあるようなドラマや神のもたらす奇跡を信じられる世の中に変えていけるかはこの世界に生きる人々の一人一人の心の持ちようでもあるのです。
今年もクリスマスの季節がやってきます。2000年ほど前に、この世に降誕された救い主を祝う教会へと足を運んでみてはいかがでしょうか。