とあるいち聖書ライターのブログ

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信じる力、祈りの力

信じる力、祈りの力


「 さて、イエスがある町におられた時、全身らい病の人がいた。
イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」
 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。 イエスは、彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、モーセが命じたように、あなたのきよめの供え物をしなさい。」

(ルカによる福音書5:12~14)


 イエスを救い主と信じる教会には、教会を病院にたとえたり、イエスを医者にたとえたりする教会があったりします。病気や障害があることが問題ではなく、病気や障害に支配されることが問題だという教会もあります。
 アメリカで最も信徒が多いと言われる宗派のバプテスト教会には、30年以上前からカウンセリングなしの、心理療法のみで、精神薬、麻薬問わず、薬物依存症や喫煙依存症の治療に成功している方々が多いといいます。しかも、ほとんど世間の病院にかける経済力に頼ってはいないということなのです。
 そこには、方法論はなく、患者とその家族の純粋に治るという事を確信させる教会の信じさせる力と、患者本人の信じる力、生活習慣の改善、無理をさせず楽しく過ごすというごく単純な、基本的な事を実行しているだけなのです。依存症のみならず、不妊治療にしてもその効果は絶大です。


アメリカのバプテスト教会でも、色々宗派がありますが、基本的にその信教の自由や家族の絆や平和の大切さを強調する思想は、イエスキリストの霊であるその心を信じる、聖書でもキリスト中心主義、聖書の初代教会時代の原点に戻るアナバプテスト思想が先がけと言われています。


しかし、聖書に、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と神が語っている箇所があるように、
信仰による心理療法の優れた教会でも、優れていればいるほど、世間からの迫害に会いやすく、
その存続や身を守るのために、高額な献金などが必要になってくる場合はあると言えます。


 金銭主義による、日本医学界や、日本の宗教界は、アメリカのアナバプテストの思想から学ぶ必要性は少なからずあると言えます。
 経済にしても、医学レベルにしても、科学力や、自立性など、どれをとっても日本とアメリカの間には100年近くの差があると言っも大げさではないと言えるのかもしれません。
 なぜなら、多国籍であり、世界の平和と人類の問題のため、損害を恐れずに貢献している、世界中に先祖を持ち、良き人材を集める事のできる国から学ばなければ、いくら経済効果が上がったところで、損害を受ける人々は増え、到底追いつけるはずなどはありません。


 聖書で、イエス・キリストによって癒された人に、イエスはそのことを誰にも言ってはいけない、祭司に治ったことを証しなさいと言われたのはなぜでしょう?
 それは、世間に知れると対応しきれないぐらいに人が集まることや、悪魔のような人々から狙われやすくなること、そして、祭司に証しし、そのモーセの命じたきよめの供え物をすることにより、イエスの奇跡はイエスご自身のみの力ではなく、神への信仰にあり、神に力があるという人々への証しになるということです。
 それは、旧約聖書により育ったという、イエスの経験があったため、その旧約聖書を重んじる祭司に救い主の現れを知らせる目的で、もしかしたらその時の祭司自身、神を信じることができないでいたのかもしれません。
 私たちは、病気が治ると医者に感謝したり、その分おカネをかけたから治ったと考えますが、その裏側にあるのは、その医者を育て守っている存在やその先駆者たちの存在があったからだと言うことを知る必要があるのです。優れた医者が優れた医者であるためには、その医者が身を守ることや対応しきれる範囲内でしか、その医者の能力を発揮することや、跡継ぎを作ることは不可能と言えるのは、病院に限らずキリストを救い主と信じる教会にも言えることなのです。