とあるいち聖書ライターのブログ

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なくしたクリスマス

なくしたクリスマス



「 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」
(詩篇111:1)



 私には、聴覚に障害のある教会に通うクリスチャンの母がいます。 母の父親は平和と家族を愛する牧師のように純粋なクリスチャンだったと聞かされています。その母の父親、私の祖父には軍人のアメリカ人クリスチャンの親友がいてその親友によって祖父はクリスチャンになったと聞いています。そして、母の母である私の祖母は、戦後アメリカ人宣教師についていき伝道活動をしていたそうです。しかし、祖母は、自分の夫である私の祖父を、まだ母たちが幼いうちに病気でなくしました。その祖父の母や子供たちの遺言のようなメッセージがあったというのですが、それは、祖父はなくなる直前に、他の宗教を信じる親戚がお見舞いにきたとき、親戚がご本尊のようなものを所持してお見舞いにきて、母たち子供たちにそれを拝みなさいと言われたそうです。そのとき祖父は「あそこへいっちゃいけない。それを拝んではいけない。」と子供たちに遺言を残して天に召されたそうです。
 その後、愛する夫を亡くした祖母は、生活を支えるだけの力がなく、宣教師方からも離れていったようで、おそらく夫を早いうちになくしたことによる神様への反発心からか、沖縄の先祖崇拝である仏壇を所持し、毎年祖父の遺影が飾られた仏壇のある家で、先祖崇拝の風習を行うようになり、私の母も幼いうちに親戚の叔母のところに養子にだされたそうです。
 祖父がなくなってから、母たち子供たちは、教会に通っていた母の姉は大丈夫だったのですが、教会から離れつつ信仰のあるキリスト教短大に行っていた母も耳を悪くし、幼いうちに父を亡くした他の兄弟たちもすべて教会から離れ先祖崇拝し聴覚に障害を持つようになってしまったのです。


 しかし、その祖父の持つやさしさの血筋は母たち兄弟たちに受け継がれたようで、母の子供たちである私の兄妹も幼いころ叔父や叔母たちと共に、よくゲームしたり遊んで笑いに満ちた親戚づきあいをしていたものです。


  聖書で、イエス・キリストは、よく耳のある者は聞きなさいと語ります。しかし、これは、聴覚に障害があるかないかが問題ではなく、神様の愛のメッセージを聞く心の耳のことを言っているのだと思います。
 私たちは、幼い頃は純粋に信じる心を持っているものですが、育つにつれ大人になり、社会の厳しさや現実の辛さ、世の中の非常さを目の当たりにしていくなかで、大切なものをなくしていくことがほとんどだと言えます。 私の母や父も老年になり、クリスチャン家庭であるはずにも関わらず、孫や親戚の幼い子供たちが来ないとクリスマスであろうが、ツリーを飾らなくなりました。それは、夢を与える相手がいなければツリーを飾っても空しいと感じるからかもしれません。


 しかし、ツリーに価値があるかどうかが問題なのではなく、私たちの愛したなくした人々の心を受け継ぐ信じる心を失わないための神様の夢を託す心のクリスマスツリーは必要なのかもしれません。


 教会では2000年ほど前の救い主の降誕を祝い、聖書の創世記に出てくるエデンの園のいのちの木を意味するクリスマスツリーを子供も大人も皆で飾りつけをし、神様を共に祝い祈りをささげるクリスマスセレブレイション礼拝などが毎年行われています。 


 母も何年か前までは、クリスマスツリーのみならず、いろいろな物を生活の糧にするべく作っていましたが、もう年をとり、あまり以前のようにはいかなくなってきた現状にあります。


 私のなくしたクリスマスの一番の思い出は、当時付き合っていた初恋の彼女とクリスマスイルミネーションを見にいったことです。


 アメリカでは、11月に大統領夫人がアメリカの首都にあるクリスマスツリーの点灯式を行うといいます。日本でも心のクリスマスツリーに灯りをともすクリスマスになる人々が増えることを願っています。