とあるいち聖書ライターのブログ

聖書からヒントを得て

先入観にとらわれない聖書解釈のもと、

聖書に興味がある方に見てもらうためのブログ

生きるために

生きているうちには、


大切な人であればあるほど、


亡くした時の悲しみは大きいものです。


天国を信じているクリスチャンと言えども、


大切な身近な存在を亡くした時の悲しみは大きいものです。


聖書には、生きているうちの信仰と、書かれています。


しかし、それと同時に、聖書の神は、生きている者にも死んだ者にも神だと書かれています。


私たち人間の世界は、


情に流されたり、


悲しみに押しつぶされると、


生きてはいけない状態になったりします。


家族や愛する人などを失った結果、


その人、本人まで命を失ってしまうということがあるのです。


しかし、聖書には、その情に流されないための秘訣があります。


聖書は、情け深くある事も教えていますが、


聖書は、悲しみで終わらない天国を確信させる信仰も教えているのです。


また、聖書は、逆にすべての人を罪の下に閉じ込めた、とあるように、この世で強く生きるためには、正しすぎては生きてはいけないような場合が多いのです。


それを知っていた、旧約聖書の伝道者の書を記したと言われるソロモン王は、聖書で次のように語っています。


「正しすぎてはいけない。なぜ早く死のうとするのか。」


私たちには、強く生きる上では、悲しみに押しつぶされないための、罪の性質が多少は必要なのかもしれません。


生きる上で、命以上に、いのちを大切にした、キリストは世の迫害により、

短い生涯で命を落としました。


しかし、復活し昇天し永遠に生きる存在となったと

聖書にあるように、

神を信じて、いのちを全うした人には、神のもとでの安らぎのもと、


永遠のいのちを得たと言えるのです。